猿橋 ― 2013/04/28 21:43
今日はファミリーで山中湖に一泊旅行。
山中湖への途中、大月に日本三奇橋の一つがあるってんで寄って見マシタ。
その橋の名前は猿橋。
中央高速の渋滞情報で「猿橋バス停を先頭に○○km」と良く耳にするけど、
バス停の方が今や有名となっている感は否めマセン。
だけど、コノ橋のことを知れば知るほど、何でそんなに有名じゃないの?と
疑問が湧いてくるほど、実は、へ〜、そうなんだ〜、すごいじゃん、の連続。
まずはこの橋の形状が珍しいらしい。
両岸から斜めに木材を刎(は)ね出して、その上に橋桁を載せる、
刎橋(はねばし)という形式で、木造で現存するのはココだけなんだと。
そんな珍しさと独特な姿形ということもあって、
コノ橋は岩国の錦帯橋、黒部の愛本橋と並んで、
日本三奇橋の一つとされているんだそうデス。
で、なぜ猿橋と云うのか。それは下記の昔話をどうぞ。
〜〜大月市内をを流れる桂川の断崖に”猿橋”という木橋が架かっている。 推古天皇の御代、この桂川には橋がなかったもんで、旅人も村人も大そう不便な思いをしておっただと。そんな折、百済の国の志羅平(しらこ)という人が、ここに橋作りを命じられてな都からはるばるこの地へやって来たそうな。 ところが快く承知したものの、現場に来てみた志羅平は驚いてしもうたと。谷が深く水面はるか下の断崖には、橋の支柱を立てることができん。さすがの志羅平も、これには困ってしもうた。一体どうすればいいものか、全く見当がつかんかったちゅう。なすすべのない志羅平は、断崖に小屋を立てた。そうしてそれからというもん、朝から晩まで断崖を見つめて思案にくれておっただと。 ところがある朝のこと、いつものように断崖を眺めておった志羅平は、こちらの岸と向こうの岸とに、たくさんの猿が群れているのに気がついた。何げなく見ていると、一体何を始めるのか、両岸の群れの中の大きいサルが、岸のところで後足と尾を木にからませた。 そうして枝から谷に下っているカズラを前足でつかんで、深い谷へと体をせり出したと。 すると次のサルは、そのサルの背中をつたって手足をからませ、体をせり出す。次のサルもそしてその次のサルも、順々に同じようにしていくと、まもなく猿の体でなった長い橋ができ上がったではないか。そして大将らしい白ザルが、その上をゆうゆうと渡っていっただと。 「おお、これだ!」志羅平は思わず手を打った。そして、このサルの橋をヒントに、さっそく設計図がひかれただと。 工事は両岸から始まった。まず一番下の土台になる材木は、全体を土に埋めて少しだけ谷へつき出した。その上に次の材木が、それより少し谷につき出して重ねられたと。そうしてその上にまた、同じような方法で材木が重ねられる。こうして両岸からだんだん谷へせり出し他材木の上に、ついに丈夫な橋がかけられたそうな。 志羅平はもちろんのこと、村人たちの喜びようは、それはそれは大へんなものであったと。こうして長年夢にまで見た橋が、やっとのことで桂川の断崖にかけられた。志羅平は、これもひとえにサルのおかげというてな、この橋を”猿橋”と名づけたそうな。〜〜 |
橋から下を覗くとこんな感じ。
断崖と深く綺麗な緑の桂川にスウっと吸い込まれそう。
なんと、歌川広重もその奇橋を描いてイマス。
いやあ、何だか得した気分。オススメデス。
[今日の拘り:隠れた名所]
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